アカクテハヤイフェラーリF1

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F1グランプリの歴史

■1992年

革新的マシンF92Aはスタイルはいいが駄馬だった。シャシー開発のスティーブ・ニコルスは開幕前にザウバーに移籍・・・。


MACHINE :
F92A(3.5リッターV12)
F92AT(3.5リッターV12)
マシンデザイン :
F92A:スティーブ・ニコルス ジャン・クロード・ミジョー
F92AT:ハーベイ・ポストレスウエイト ジャン・クロード・ミジョー
DRIVER :
ジャン・アレジ(No.27)
イワン・カペリ(No.28)
ニコラ・ラリーニ


フェラーリは革新的マシン「F92A」を発表。

名称は92年モデルから来ていると思われる。「A」が何か不明。開発が進めば「B」になるのかと考えられたがそれはなかった。シーズン後半に横置き(transverse)を表す「T」が追加された「F92AT」を実戦投入。外観上のデザインは特に変わらない。

この「F92A」は、スティーブ・ニコルスとジャン・クロード・ミジョーが91年に設計・開発したマシン。しかしシャシーを開発したスティーブ・ニコルスは開幕を待たずにザウバーに移籍してしまう。そこで、91年にフェラーリに復帰していたハーベイ・ポストレスウエイトが改良を試み「F92AT」が完成。
ツインアンダートレイや戦闘機型のエアインテークなどルックス的には非常にカッコいいマシンなのだが、ツインアンダートレイが大失敗。セッティングが非常に難しいマシンになってしまった。積極的に車体下部に空気を送り込み、ダウンフォースを増加させようとしたが裏目に出て、重心が高くなってしっまたということでしょう。

混迷を極めたフェラーリのマシン開発の時期の特徴的なマシン。

V12エンジンもパワー不足だったが、エンジン提供したスクーデリアイタリアの方がリザルトが良かったりして残念だった。

モナコではカペリがガードレールに乗り上げ、斜め状態でリタイアしました。表彰台はアレジの3位が2回だけという淋しさ。

カペリは2戦を残して解雇されてしまった。カペリに責任はなくマシンに問題があったことは誰がみても明らかだったので、アルボレート以来の久しぶりのイタリア人フェラーリドライバーのカペリには残念なシーズンになってしまった。

ニコラ・ラリーニが代役で、日本GPを走ったが、S字で片山右京(ベンチュリー・ラルース・ランボルギーニ)にブチ抜かれたときは呆然としてしまい、ため息もでなかった。しかし、噂ではラリーニがドライブしたマシンはアクティブサスペンションを搭載した実験マシンで、翌年のためのデータ収集を行っていたとも言われる。

しかし、ラリーニの名誉の為に付け加えておくと、その後1994年サンマリノGPでは見事2位フィニッシュしている。いかに「F92AT」が駄馬だったか証明できるだろう。

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