アカクテハヤイフェラーリF1

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F1グランプリの歴史

■1989年

サンマリノGP、タンブレロでベルガーがクラッシュ炎上。

MACHINE :
640(3.5リッターV12)
マシンデザイン :
ジョン・バーナード
DRIVER :
ナイジェル・マンセル(No.27)
ゲルハルト・ベルガー(No.28)


88年限りでターボが禁止されたので、全チーム自然吸気エンジンとなる。NA(ノーマル・アスピレーション)元年と呼ばれる。

フェラーリは画期的マシン「640」(V12エンジン)を投入。88年からチームに参加しているジョン・バーナード作。セミオートマ搭載。今でこそ当たり前のセミオートマですが、F1に初登場です。デザイン的にも特筆すべき点が多く。かものはしノーズと呼ばれたフロントノーズ。コークボトルと呼ばれたサイドポンツーンからリヤカウルへの曲線的なライン。

640は開発用のコードネームで、F189とも呼ばれる。インダクションポッドの低い前半戦のものと区別する為、後半戦のものは「ハイ・インダクション」と呼ばれる。

アルボレートの移籍に伴い、ナイジェル・マンセルとゲルハルト・ベルガーのコンビになる。

デビュー戦でマンセルが勝利!これは、いけると思ったのですが、セミオートマが熟成していなくて、ギアボックストラブルでリタイアが多かった。

サンマリノでは、あのタンブレロでベルガーのマシンがクラッシュ炎上。タンブレロへの進入時にサスペンションが破損したのだ。幸い命に別状はなかったが、次戦のモナコGPはマンセルのみ出走し、ベルガーは欠場した。

ポルトガルGP。マンセルはピットインしたのだが、止まりきれず、ピットを通り過ぎてしまった。ここでマンセルはバックしてしまう(違反です)。しかし、レースに復帰。黒旗がでているのに走りつづけ、セナを巻き込んで、2台ともリタイア。マクラーレン、セナともに相当怒ってました(当たり前だよね)。セナはチームメートのプロストと争っていたので、少しでもポイントが欲しかったのです。ちなみに、次のGPはマンセル出場禁止でした。

日本GP。シケインでマクラーレン同士のセナとプロストが接触。プロストのワールドチャンピオンが決定。

セナ・プロの確執がはじまったのは、この年でした。みなさん、二人の仲の悪さは有名で知ってるでしょうが、その発端が何だったか覚えてます?第2戦サンマリノGP。レース前にセナがプロストに「スタートの1コーナーでは無理に争わない。」と言った。なのに、セナは約束を破った。プロストの抗議に対してセナは何も反論できなかった。この一件で、二人は決裂した。

フェラーリは前年にエンツォが亡くなったので、フィアットの傘下に入る。チームディレクターにチェザーレ・フィオリオ就任。

この年は、フジテレビF1中継に古舘伊知郎登場。F1ファンのブーイング多数。自分も大嫌いでした。さすがにフジテレビに抗議の電話はしなかったけれど。しかし、第1戦ブラジルGPのあと、1000本以上も抗議の電話があったらしい。

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